昭 和四十一年八月三十日 夜の御理解
昨日の朝の御祈念に、田主丸の田代さんお参りしておらしました。そして、お届けに、なりましたことが、月末の手形のことをお願いなさっておられました。で、夕べ、又皆さん帰られてからも、やんがて、十一時という時分に、又お参りしてみえられました。先生、おかげ頂きましてから、今日は、丁度、昨日、おとといまで、五日間でしたか、この大売り出しがあっとりました。むつやさん、その五日間の大売り出しよりも、昨日 一日でおかげ頂いて、ほぼ その手形の全額が揃いました。
まあ あしたか、あさってで、ございますから、どうぞ、万事お繰り合わせ頂きますように、というような、お願いであった、大売り出し、然も五日間でも、どうにも、できなかっただけ、昨日 一日で、お取り次ぎを頂いて、おかげを頂くということがです、有り難いということを、お届けなさって、おられましたけれども、こちらも、今度の大売り出しのことは、その若い人達ばっかりで、その大売り出しをしょうち言うてから、その決めてから、信ちゃんがお届けには来ました。けれども、その肝心要の田代さんは、しっちゃなかった。
はぁ、そんなら、そんごと、あんた、あたしに言うちから、すりゃ、ええとこで、お母さんが、裏にばっかり、おるけんで、と いうような、ことじゃったらしいけれども、まあ、その時には、その時で、こんなことじゃいかんと、こう思うて、まあ 心にもかかったけれども、お参りさいして頂いて、御理解頂きよれば、又いろいろ自分が感ずるところもあって、おかげを頂いたんですけれども、というて、そん時お届けがあっとりましたがね。
この私思うのに、その例えば、店一家中、店中の者がです、その気になって願わねば、おかげに、ならんということですね。
昨日の朝の田代さんの願いというのは、こりゃ、もう いうなら、そこんところを分からして下さったようなもの、若い人達でも、成程 中心である田代さんにも、いうなら、話し合いをした上で、お取り次ぎを頂いて、お願いをするべきもんだと、いったような、ことを、まあ若い人達も分からして下さる。そういうことになれば、私はこのおかげ頂けれるとこう思う。お取り次ぎを頂いて、おかげを頂くと、たしかに、そうですけれども、それも、例えばなら一人が、中心の一人が願われる。店の者全部が、そのことを願う、然も、そのお取り次ぎを願うても、中心のいわば主人 も、知らないようなことでのお取り次ぎでは、お取り次ぎを願うからには、やはり、その神様に、お喜び頂けるような、神様に通うような、お取り次ぎで、なからなきゃならんという、ことも分かりますですね。
ま、そういう例は、ま いくらでもございますけれどもです、この昨日の田代さんの、朝の お届け、そして夕べのお礼のお届けと、その中からです、まあ あの特別な神様の、おはたらきを頂くことのために、いかに家庭の中が円満で、家庭の中が、ひとつの気になって、そこにならなければならん、であれば、いよいよ、おかげが受けられるだろうと、 いうことが、感じられますですね、そのことが思われます。 ここで切れる。